毎日の出来事や、思ったことを独り言してます。
親バカ日記
2006年05月30日 (火) | 編集 |
先日、せっちんの高校生活初めての前期試験がありました。
まったりのんびりわが道を行くせっちんですが、
試験中もマイペース。

試験中にバイオリンが届いたから、ずっと音あわせなんかして
大丈夫かいな?って思っていたのですが。

昨日、全部の試験の答案が帰ってきて見せてもらいました。

というか、私も病気以外の事には能天気なので
試験の事も気にもとめなかったというのが正直なところ(^_^;)

帰宅したせっちんが、もったいぶって、前フリしながら
やっと、見せてくれたのですが、まずますの出来でした。
苦手な英語の67点がちょっと痛かったけど、7科目の平均点は79点でした。
ちなみにクラスの平均点は50点台だったそうです。
こんな点を取るのは初めてなので、タイトルにも書かせて頂いたとおり、親バカさせて頂きます

それほどレベルの高い話ではない事も承知しております。

せっちんに関しては、常に放射線治療の後遺症の事が頭をよぎります。
確かに、放射線科の先生にも「この子は本当はもっと勉強が出来るはずなのに・・・と思う事が将来出てくるかもしれない」と言われました。
小児脳外科の担当医の「知的障害者になります!」との断言は除外ですが。

せっちんの行ってた中学は荒れていて、授業中もまともに先生の声も聞こえないほどだったけど、高校ではそんな事はないので、落ち着いて授業が受けれたのが大きな原因でしょう。

全国平均して、「中間の学力」的な兄の通う高校を落ちて、ひとつランクを落としての受験でした。
せっちんは、落ちた高校と同じランクの高校をもう一度受けようとして、私たちは心配したのですが、ギリギリになってランクを落とした高校の受験を決めたのでした。

私たちは、ここでトップを狙ったらええやん!って励ましてたのですが、せっちんが元気でいてくれたらいいという思いが強いので、勉強の事はさほど気にしてなかったのです。

めったに誉めないお父さんも、喜んでました(^^)

8年前の“私”に向けての親バカ日記でした(^^ゞ

小児脳腫瘍闘病記〜番外編・術後5年経過旅行の思い出
2006年05月15日 (月) | 編集 |
先日、北海道の動物園のドラマを見ました。
命をテーマにしていて見ごたえがありました。
動物達って見ていると癒されますね。とても良かったです。

北海道と言えば、今から4年前にせっちんの術後5年経過祝いにと
家族3人で行った事があります。
その時、私は「せっちんの闘病記」というHPを運営していたのですが
今もお世話になっている「じゅんジュンJUNちゃんの闘病記」のHPを運営されているジュン君のパパさんに北海道の事をご親切に教えて頂きました。
今では、ママさんと仲良くさせて頂いています。

今は、「せっちんの闘病記」での記録も無くなりましたが、当時に書いた「北海道旅行記」では、「闘病中、この旅行をずっと楽しみに夢を見てきました。
術後5年経過したら、家族3人で北海道に行く事を。
そんな願いが叶った今、今後は術後10年経過記念に又家族で北海道に行きたい!今度は家族“4人で”」なんて書いた記憶があります。
その時は、家族が4人になる予定なんて全くなかったのですが(笑)


来年の夏で術後10年です。この願い叶いますように・・・


小児脳腫瘍闘病記〜番外編・息子達の父親
2006年05月13日 (土) | 編集 |
せっちんが病気になる1年半前に私は離婚しました。
その後一切連絡を取らず、過ごしていたのですが、私は子供達から父親との縁を切ってしまった事について、心の底ではいつも罪悪感を感じていました。
家庭を全く顧みない父親との思い出はほとんどない子供達でしたが、そんな親でも、やっぱり父親。
離婚する事を悩んでいた時、どう考えても一緒にはやっていけないと結論を出したのですが、せめてわずかな額でも養育費を出して欲しい、2万円でも・・・
そういうお願いも無視され、その日まで至りました。

せっちんが悪性脳腫瘍になり、医者や看護士さんからは手術の前に「お父さんに連絡を」と言われました。
せっちんは、発病が分かった時点で腫瘍が5センチにもなっており、いつどうなっても仕方がないという状態でした。

でも、居場所も分からない、そして裏切られた立場の私から、連絡するわけにもいかない、とプライドの方が勝ってしまい、連絡は取れませんでした。

それから手術は成功し、ある方と知り合って、その方を通して、元主人と連絡を取る事が出来ました。

元主人は、せっちんの変わり果てた姿を見て愕然としており、しばらく言葉が出なかったようです。

久々の父親との再会に喜んだのは、長男でした。
思い出なんてほとんどないはずなのに、なぜ?
そう思いながらも、なんとなく長男の気持ちも分かるような気がしました。
その後、せっちんが元気になり4人で色々な所に遊びに行きました。
結婚生活では、ありえなかった事ですが、これが私たちの家族の形なのだと割り切って、しばらく交流がありました。

それから、私は恋愛するようになり、今の夫と知り合います。
私からも、子供達からも、元主人にその事は一度も言った事はなかったのですが、その後、元主人との連絡は緩やかに途絶えてきました。

今の主人と同居して1年半後に、長男が父親にメールを送ると、いつもならすぐに返事が返ってくるのに、何日経っても返事は来ませんでした。
その後、長男が携帯を変えて、アドレス変更のメールを出しても返事は返って来ませんでした。

私は、子供達は2回も捨てられたのだと、かなり怒りましたが、抗議しようとすると、長男に止められました。

新しいお父さんは出来たけど、子供達にとって、元主人もお父さんです。
長男の気持ちを考えると胸が詰まり、元主人を恨みました。
でも、長男は違ったようです。
生きていると色んな変化があります。
それは川の流れを止められないのと同じように。

その事を長男は察していたのでしょうか?
それとも、ただ、ただそんな父親を許す事が出来たのでしょうか。

そんな時に、こんな記事を見つけました。
読んでいて涙が止まらなかった。


詳しくは、こちらのブログの記事を見て頂けると分かりやすいので
宜しければご覧下さい。鏡の法則・・・許す事そして感謝
記事を2回飛んで頂くのは申し訳ないのですが、「あるがままに」の小児脳腫瘍闘病記を見て下さっている方に、何か感じて頂ければ幸いです。

※紹介したブログの鏡の法則の記事のURLが間違っていましたが、ただいま修正しました(^_^;)既に見て下さった方、すみません。
ちゃんと正しいURLになりましたので。


小児脳腫瘍闘病記〜番外編
2006年03月29日 (水) | 編集 |
「やっぱ、ぼくって運がいい!」

せっちんが今から8年前に半年振りに喋れるようになった時、
ずっと口ずさんでいた言葉です。
よほど嬉しかったのでしょう^^

何かにつけて言います。

「やっぱ、ぼくって運がいい♪」

歌うように節をつけながら。

この時点ではまだ、体には気管切開しカニューレという管を
喉につけています。
手術を何度も繰り返し(脳腫瘍の摘出は1度だけ)
放射線治療の副作用で、くりくり坊主になった小さな体で・・・

それでも喋れるというのが、せっちんにとっては何よりも
嬉しい、幸せな事だったんですね。


この時点を境にせっちんはますます元気になっていきました。


今となって、ふとこんな事を思い出しました。

言霊というのをご存知ですか?

「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。
発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。」

以前から言霊は一部の人には注目されていますね。
アファーメーション(肯定的宣言)なども
これにあてはまるんではないでしょうか?

高額納税者である斉藤一人さんも、この大切さを
といていらっしゃると聞いたことがあります。

せっちんは、そんな事を知るはずもなく、
いつも口ずさんでいました。
本当に嬉しかったのでしょう。

私も言うぞ!

「やっぱ私って運がいい!」^^