2006年03月31日 (金) | 編集 |
昨日は、家族みんなの予定が合ったので
4人でバッティングセンターに行きました。
私と旦那は20球×3ゲーム
子供達はもっとしてましたよ。
その後、ボーリンクで2ゲームして
あとはゲームセンターでたくさん遊んで(^_^)
こうして体を動かして遊ぶのも
楽しいですね。
私は、明日くらいに疲れがくるかもしれませんが(ーー;)
帰りにはジョ○ーパスタで食事をしました。
ファミリーレストランなのに、4人で6500円くらい
かかり、つくづく食いしん坊家族なんだなって
妙に感心しちゃった(^^ゞ
4人でバッティングセンターに行きました。
私と旦那は20球×3ゲーム
子供達はもっとしてましたよ。
その後、ボーリンクで2ゲームして
あとはゲームセンターでたくさん遊んで(^_^)
こうして体を動かして遊ぶのも
楽しいですね。
私は、明日くらいに疲れがくるかもしれませんが(ーー;)
帰りにはジョ○ーパスタで食事をしました。
ファミリーレストランなのに、4人で6500円くらい
かかり、つくづく食いしん坊家族なんだなって
妙に感心しちゃった(^^ゞ
2006年03月29日 (水) | 編集 |
「やっぱ、ぼくって運がいい!」
せっちんが今から8年前に半年振りに喋れるようになった時、
ずっと口ずさんでいた言葉です。
よほど嬉しかったのでしょう^^
何かにつけて言います。
「やっぱ、ぼくって運がいい♪」
歌うように節をつけながら。
この時点ではまだ、体には気管切開しカニューレという管を
喉につけています。
手術を何度も繰り返し(脳腫瘍の摘出は1度だけ)
放射線治療の副作用で、くりくり坊主になった小さな体で・・・
それでも喋れるというのが、せっちんにとっては何よりも
嬉しい、幸せな事だったんですね。
この時点を境にせっちんはますます元気になっていきました。
今となって、ふとこんな事を思い出しました。
言霊というのをご存知ですか?
「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。
発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。」
以前から言霊は一部の人には注目されていますね。
アファーメーション(肯定的宣言)なども
これにあてはまるんではないでしょうか?
高額納税者である斉藤一人さんも、この大切さを
といていらっしゃると聞いたことがあります。
せっちんは、そんな事を知るはずもなく、
いつも口ずさんでいました。
本当に嬉しかったのでしょう。
私も言うぞ!
「やっぱ私って運がいい!」^^
せっちんが今から8年前に半年振りに喋れるようになった時、
ずっと口ずさんでいた言葉です。
よほど嬉しかったのでしょう^^
何かにつけて言います。
「やっぱ、ぼくって運がいい♪」
歌うように節をつけながら。
この時点ではまだ、体には気管切開しカニューレという管を
喉につけています。
手術を何度も繰り返し(脳腫瘍の摘出は1度だけ)
放射線治療の副作用で、くりくり坊主になった小さな体で・・・
それでも喋れるというのが、せっちんにとっては何よりも
嬉しい、幸せな事だったんですね。
この時点を境にせっちんはますます元気になっていきました。
今となって、ふとこんな事を思い出しました。
言霊というのをご存知ですか?
「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。
発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。」
以前から言霊は一部の人には注目されていますね。
アファーメーション(肯定的宣言)なども
これにあてはまるんではないでしょうか?
高額納税者である斉藤一人さんも、この大切さを
といていらっしゃると聞いたことがあります。
せっちんは、そんな事を知るはずもなく、
いつも口ずさんでいました。
本当に嬉しかったのでしょう。
私も言うぞ!
「やっぱ私って運がいい!」^^
2006年03月27日 (月) | 編集 |
私は夫も子供もいない叔母の法的な保護人になっています。
脳内出血で倒れてから退院後は老人ホームでお世話になっていたのですが、最近、叔母がずっと興奮状態が続いてるらしい。
懇親的に介護して下さった老人ホームの方から「限界です」というお電話を頂き、病院に連れて行きました。
夜もほとんど寝ずに、ずっとスタッフを呼び続ける叔母。
他の入居者からも苦情が来ていたみたい。
そちらの病院の痴呆病棟で即入院となり、今日は色々と手続きをしました。
病棟内は、広いフロアがあり日中は患者さんはずっとこちらで過ごします。
色んな方がいましたが、今晩から叔母もこちらでお世話になるんだなと思うと、ほっとしたような、なぜか悲しいような。
病院では24時間体制で叔母を見て下さるのだから、そんな事を思ってはいけないと思いつつ。
以前にも書きましたが、叔母は若い時からわがまま放題、好き勝手に生きてきて、実の弟である私の父も毛嫌いしています。
私たち親戚は、叔母が若くて元気な時からあれこれと世話をかけられてきました。でもせっちんのお見舞いにも1度も来てくれなかった。
せっちんの変わり果てた姿を見るのは心臓に悪いとか、言って(ーー;)
認知症になってしまった叔母を以前のように憎むことは無くなったけど、今後はやるせない気分に。
最近の私は少し情緒不安定かもしれません。
更年期の年ではないと思うけど、すぐに涙が出ます。
今日は叔母の為に老人ホームの施設長さんもついてきて下さり、診察後、即日入院が決まってからは入院準備の手配など、してくれました。
老人ホームから、叔母の必要な荷物を他のスタッフが持ってきてくれた時、なぜだか泣きそうになりました。
こうして助けてもらって良かったなぁって。
他にも看護士さんの説明で不明な点がある時も、率先して聞いてくれたり、叔母の事を一生懸命に考えてくれてるんです。
1人で何もかもするのは、辛いと思っていたので本当に嬉しかった。
入院中は叔母の洗濯物も、スタッフが代わる代わる取りに行ってくれて、ホームで洗濯してくれるそうです。
申し訳ないのでお断りしたのに無料で・・・
こちらの病院では入院は3ヶ月。よくなればもっと早くに退院できるそうです。
早く良くなって親身になって下さるスタッフのいる、老人ホームに帰れますように・・・
脳内出血で倒れてから退院後は老人ホームでお世話になっていたのですが、最近、叔母がずっと興奮状態が続いてるらしい。
懇親的に介護して下さった老人ホームの方から「限界です」というお電話を頂き、病院に連れて行きました。
夜もほとんど寝ずに、ずっとスタッフを呼び続ける叔母。
他の入居者からも苦情が来ていたみたい。
そちらの病院の痴呆病棟で即入院となり、今日は色々と手続きをしました。
病棟内は、広いフロアがあり日中は患者さんはずっとこちらで過ごします。
色んな方がいましたが、今晩から叔母もこちらでお世話になるんだなと思うと、ほっとしたような、なぜか悲しいような。
病院では24時間体制で叔母を見て下さるのだから、そんな事を思ってはいけないと思いつつ。
以前にも書きましたが、叔母は若い時からわがまま放題、好き勝手に生きてきて、実の弟である私の父も毛嫌いしています。
私たち親戚は、叔母が若くて元気な時からあれこれと世話をかけられてきました。でもせっちんのお見舞いにも1度も来てくれなかった。
せっちんの変わり果てた姿を見るのは心臓に悪いとか、言って(ーー;)
認知症になってしまった叔母を以前のように憎むことは無くなったけど、今後はやるせない気分に。
最近の私は少し情緒不安定かもしれません。
更年期の年ではないと思うけど、すぐに涙が出ます。
今日は叔母の為に老人ホームの施設長さんもついてきて下さり、診察後、即日入院が決まってからは入院準備の手配など、してくれました。
老人ホームから、叔母の必要な荷物を他のスタッフが持ってきてくれた時、なぜだか泣きそうになりました。
こうして助けてもらって良かったなぁって。
他にも看護士さんの説明で不明な点がある時も、率先して聞いてくれたり、叔母の事を一生懸命に考えてくれてるんです。
1人で何もかもするのは、辛いと思っていたので本当に嬉しかった。
入院中は叔母の洗濯物も、スタッフが代わる代わる取りに行ってくれて、ホームで洗濯してくれるそうです。
申し訳ないのでお断りしたのに無料で・・・
こちらの病院では入院は3ヶ月。よくなればもっと早くに退院できるそうです。
早く良くなって親身になって下さるスタッフのいる、老人ホームに帰れますように・・・
2006年03月26日 (日) | 編集 |
うちには食べ盛りの男が3人います(ーー;)
もちろん、その中には39歳の旦那も含まれてます。
高校生の息子達が食べ盛りなのは分かるけど
夕食を一番楽しみにしてるのは旦那。
夕食の事が気になるのか、よくメールをしてきます^^;
「今日のおかずは何?」
「カレーの材料を買ってきた」
というと、
「チキンを入れて欲しいな」
と、返事が返ってくる。
チキンなんて買ってないよ〜
うちはいつも牛肉なのに!
また、買い物に行ってチキンだけ買ってくる私。
他にも「今すぐ○チャンネルを見て」
とメールが来たので、見てみると
料理番組でした。
こんなん食べたいって事でしょう^^;
一応、弁護しておきますが、そんな暇人で孤独な旦那では
ないんですが、職業柄待機時間というのが
あるので、ふと晩御飯の事が頭をよぎるのでしょう(笑)
そして昨日のメールはこうでした。
「いかなごのくぎ煮作りに挑戦して」
はぁ〜(ため息)
作った事ないんだけどなぁ。
会社の人に少し食べさせてもらって
美味しかったらしい。
今日は食いしん坊の旦那の為に
くぎ煮に挑戦してみます(~_~)
あれって難しいんでしょうねぇ・・・
もちろん、その中には39歳の旦那も含まれてます。
高校生の息子達が食べ盛りなのは分かるけど
夕食を一番楽しみにしてるのは旦那。
夕食の事が気になるのか、よくメールをしてきます^^;
「今日のおかずは何?」
「カレーの材料を買ってきた」
というと、
「チキンを入れて欲しいな」
と、返事が返ってくる。
チキンなんて買ってないよ〜
うちはいつも牛肉なのに!
また、買い物に行ってチキンだけ買ってくる私。
他にも「今すぐ○チャンネルを見て」
とメールが来たので、見てみると
料理番組でした。
こんなん食べたいって事でしょう^^;
一応、弁護しておきますが、そんな暇人で孤独な旦那では
ないんですが、職業柄待機時間というのが
あるので、ふと晩御飯の事が頭をよぎるのでしょう(笑)
そして昨日のメールはこうでした。
「いかなごのくぎ煮作りに挑戦して」
はぁ〜(ため息)
作った事ないんだけどなぁ。
会社の人に少し食べさせてもらって
美味しかったらしい。
今日は食いしん坊の旦那の為に
くぎ煮に挑戦してみます(~_~)
あれって難しいんでしょうねぇ・・・
2006年03月24日 (金) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
せっちんは徐々に色んなものが食べれるようになりました。
基本的にはきざみ食ですが、お友達と同じものが
食べれるようにまでなりました。
1月7日に無事放射線治療も終わり、
翌日、この病院を退院することに。
退院して家に帰る前にもう一度、喉の検査をしてもらうと、
喉がきちんと動いていたそうです。
今まで片方しか動いてなかったのに。
いつになったら麻痺は治るのだろう、もしかしたら
一生このままかもしれないと暗い気持ちになった事も
ありました。
でも、麻痺は完全に治まり、きちんと機能する様になったというのです。
せっちん、よかったね。本当に良かった。
常に痰が詰まり、私や看護士さんが吸引機で吸引をしていました。
夜中に乾燥してカニューレの中がガチガチに固まって
呼吸困難に陥って苦しい思いもしました。
喋れなかったこと、食べれなかったこと、飲み物すら飲めなかったこと。
これは経験した人しか分からない辛さだったでしょうね。
これはもしかしたら、今すぐ喋れるようになるかもしれない!と、
耳鼻科の先生が、試しに喉に埋まってるカニューレに
蓋をしてみました。
蓋をすることで、今までカニューレから呼吸をしていたのが
元通り、口から呼吸が出来るようになるのです。
「普通、大人の人は1日10分くらい、口で息をする
練習を始めるんですよ。
人間の体の構造は、実は喉で息をする方が楽に出来てるので
口で呼吸するのが難しいかもしれません。
半年間、これで慣れてしまったので難しいかも知れません。
毎日10分間、こうして蓋をして徐々に呼吸が楽に出来るように
慣らしていきましょう」
そう言いながら、先生がせっちんのカニューレに蓋をしました。
全く、苦しむ様子もなく普通に口から呼吸をしています。
「声を出してみて」というと、
「おかあさん」と言ってくれました。
少し、元の声よりこもった感じですが、
久々にせっちんの声が聞けました。
子供なので、複雑に考える事無く自然に口から呼吸が出来たのでしょう。
それから家に帰りました。もちろん、蓋もしたままです。
せっちんは帰りの車の中でずっと喋っています。
半年間、全く喋れなかった分を取り戻すかのように。
お兄ちゃんも喋れるようになったせっちんを見て
びっくりしていました。
同居しているおじいちゃんにも、わざわざ会社に電話する事無く
声が出る事を内緒にしておいて・・・
夕方になり、おじいちゃんが帰宅してきました。
まだ内緒です。
「せっちん、おかえり。退院できて良かったなぁ」
せっちんに向かって、普通に声をかけるおじいちゃん。
「おじいちゃん!お帰り!」
可愛い声でせっちんがおじいちゃんに言いました。
あの時の父の顔と言ったら・・・・
入院中、辛いことがたくさんありましたが
嬉しい事もいっぱいありました。
その中でこれは、私とせっちんが共に
一番嬉しかった事です^^
ご飯が食べれて、
飲み物が飲めて、
喋ることができて。
悪性脳腫瘍という病気を一瞬でも忘れることの
出来たひとときでした。
せっちんは徐々に色んなものが食べれるようになりました。
基本的にはきざみ食ですが、お友達と同じものが
食べれるようにまでなりました。
1月7日に無事放射線治療も終わり、
翌日、この病院を退院することに。
退院して家に帰る前にもう一度、喉の検査をしてもらうと、
喉がきちんと動いていたそうです。
今まで片方しか動いてなかったのに。
いつになったら麻痺は治るのだろう、もしかしたら
一生このままかもしれないと暗い気持ちになった事も
ありました。
でも、麻痺は完全に治まり、きちんと機能する様になったというのです。
せっちん、よかったね。本当に良かった。
常に痰が詰まり、私や看護士さんが吸引機で吸引をしていました。
夜中に乾燥してカニューレの中がガチガチに固まって
呼吸困難に陥って苦しい思いもしました。
喋れなかったこと、食べれなかったこと、飲み物すら飲めなかったこと。
これは経験した人しか分からない辛さだったでしょうね。
これはもしかしたら、今すぐ喋れるようになるかもしれない!と、
耳鼻科の先生が、試しに喉に埋まってるカニューレに
蓋をしてみました。
蓋をすることで、今までカニューレから呼吸をしていたのが
元通り、口から呼吸が出来るようになるのです。
「普通、大人の人は1日10分くらい、口で息をする
練習を始めるんですよ。
人間の体の構造は、実は喉で息をする方が楽に出来てるので
口で呼吸するのが難しいかもしれません。
半年間、これで慣れてしまったので難しいかも知れません。
毎日10分間、こうして蓋をして徐々に呼吸が楽に出来るように
慣らしていきましょう」
そう言いながら、先生がせっちんのカニューレに蓋をしました。
全く、苦しむ様子もなく普通に口から呼吸をしています。
「声を出してみて」というと、
「おかあさん」と言ってくれました。
少し、元の声よりこもった感じですが、
久々にせっちんの声が聞けました。
子供なので、複雑に考える事無く自然に口から呼吸が出来たのでしょう。
それから家に帰りました。もちろん、蓋もしたままです。
せっちんは帰りの車の中でずっと喋っています。
半年間、全く喋れなかった分を取り戻すかのように。
お兄ちゃんも喋れるようになったせっちんを見て
びっくりしていました。
同居しているおじいちゃんにも、わざわざ会社に電話する事無く
声が出る事を内緒にしておいて・・・
夕方になり、おじいちゃんが帰宅してきました。
まだ内緒です。
「せっちん、おかえり。退院できて良かったなぁ」
せっちんに向かって、普通に声をかけるおじいちゃん。
「おじいちゃん!お帰り!」
可愛い声でせっちんがおじいちゃんに言いました。
あの時の父の顔と言ったら・・・・
入院中、辛いことがたくさんありましたが
嬉しい事もいっぱいありました。
その中でこれは、私とせっちんが共に
一番嬉しかった事です^^
ご飯が食べれて、
飲み物が飲めて、
喋ることができて。
悪性脳腫瘍という病気を一瞬でも忘れることの
出来たひとときでした。
2006年03月24日 (金) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
放射線治療を毎日受けて1ヶ月近く経った日の事です。
病院に行くと、せっちんが目を丸くして
私の肩をたたきました。
「ちょっと、ちょっと」っていう感じで。
「どうしたん?」と聞くと
喉の検査をした時に、麻痺が軽減してると先生に
言われたそう。
せっちんは、手術の後遺症で、喉を動かす機能が麻痺してしまって
嚥下困難(飲み込みが出来ない)になってしまったのです。
このままほっておくと、唾液が肺に流れ込んで
肺炎を起こす危険性が高いというので
器官切開をして喉にカニューレという管をいれ
そこから呼吸をしていました。
当然、発声することができなくなり、飲むことも食べることも
出来なくなりました。
それから先生から説明を受けました。
まだ完全ではないけれど、半分が動いてるのが確認できたと
おっしゃっていました。
その喉の麻痺が軽減されたというので、このまま治っていくんじゃないかと凄く期待しました。
先生は試しに徐々に固形の物を食べる練習をしようと言って
下さり、それから毎晩夕食にプリンやゼリーを食べれるように
なりました。
今まで半年間近く、何も食べれなかったので、久しぶりに
食べたブリンの味は格別だったそうです(^_^)
放射線治療を毎日受けて1ヶ月近く経った日の事です。
病院に行くと、せっちんが目を丸くして
私の肩をたたきました。
「ちょっと、ちょっと」っていう感じで。
「どうしたん?」と聞くと
喉の検査をした時に、麻痺が軽減してると先生に
言われたそう。
せっちんは、手術の後遺症で、喉を動かす機能が麻痺してしまって
嚥下困難(飲み込みが出来ない)になってしまったのです。
このままほっておくと、唾液が肺に流れ込んで
肺炎を起こす危険性が高いというので
器官切開をして喉にカニューレという管をいれ
そこから呼吸をしていました。
当然、発声することができなくなり、飲むことも食べることも
出来なくなりました。
それから先生から説明を受けました。
まだ完全ではないけれど、半分が動いてるのが確認できたと
おっしゃっていました。
その喉の麻痺が軽減されたというので、このまま治っていくんじゃないかと凄く期待しました。
先生は試しに徐々に固形の物を食べる練習をしようと言って
下さり、それから毎晩夕食にプリンやゼリーを食べれるように
なりました。
今まで半年間近く、何も食べれなかったので、久しぶりに
食べたブリンの味は格別だったそうです(^_^)
2006年03月24日 (金) | 編集 |
昨日、せっちんが公立高校に合格しました♪
前期の試験に落ちてしまったので、
今回はランクを下げての受験だったのですが、
無事合格して、ひと安心です^^
午前中に合格発表があり、午後からは説明会。
1日仕事でした。
最後にせっちんと2人で保健室に行って
健康相談をしてきました。
健康相談といっても、せっちんの病気や
後頭部の一部に骨がないことを
保健室の先生にも知ってもらいたかっただけですが。
優しそうな女性の先生が2人いらして、
とても親身になって聞いて下さいました。
電車やバスを乗り継いで1時間かかる学校ですが
自然あふれる場所にあり、微妙に川もキレイ!
楽しい高校生活になればいいなぁ♪
昨日はステーキを買ってお祝いしました(^_^)
親戚や私のお友達から心配して電話を頂いたりして
ありがたいと思いました(^_^)
前期の試験に落ちてしまったので、
今回はランクを下げての受験だったのですが、
無事合格して、ひと安心です^^
午前中に合格発表があり、午後からは説明会。
1日仕事でした。
最後にせっちんと2人で保健室に行って
健康相談をしてきました。
健康相談といっても、せっちんの病気や
後頭部の一部に骨がないことを
保健室の先生にも知ってもらいたかっただけですが。
優しそうな女性の先生が2人いらして、
とても親身になって聞いて下さいました。
電車やバスを乗り継いで1時間かかる学校ですが
自然あふれる場所にあり、微妙に川もキレイ!
楽しい高校生活になればいいなぁ♪
昨日はステーキを買ってお祝いしました(^_^)
親戚や私のお友達から心配して電話を頂いたりして
ありがたいと思いました(^_^)
2006年03月22日 (水) | 編集 |
このブログを初めて1ヶ月が経ちました。
たくさんの方に見て頂き、コメントを頂いて
本当に嬉しく思います。
8年前の記憶をたどり、きちんとしたデーターも
残していないこの闘病記ですが、
1人でも励みになって下さる方がいらっしゃれば。
そういう思いで、つたない文章ながら書いています。
みなさま、いつもありがとうございます^^
素晴らしい仲間がいて、私は幸せです^^
現在、闘病中のお友達が早く元気になられる事を
心からお祈りしています。
たくさんの方に見て頂き、コメントを頂いて
本当に嬉しく思います。
8年前の記憶をたどり、きちんとしたデーターも
残していないこの闘病記ですが、
1人でも励みになって下さる方がいらっしゃれば。
そういう思いで、つたない文章ながら書いています。
みなさま、いつもありがとうございます^^
素晴らしい仲間がいて、私は幸せです^^
現在、闘病中のお友達が早く元気になられる事を
心からお祈りしています。
2006年03月21日 (火) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
入院してから慎重に色々な検査をして10日ほど経ってから
リニアック(放射線治療)を行いました。
当時の記録が残っておらず、正確な数値は残っていません。
今、闘病中の方でこちらを見て下さっている方には
申し訳ないのですが・・
せっちんの治療は脳脊髄照射で、腫瘍のあった部分のみ
数値をあげての照射でした。
放射線室では、治療前の30分くらいの間、
技師さん達とパソコンゲームをして遊んでもらっていたようです。
こうしてリラックスさせて頂いて有難く思いました^^
治療から10日ほど経ってから、せっちんの髪の毛が
少しずつ抜け始め、それから1週間後には
全部抜けてしまいました。
説明では聞いていたものの、やはりショックでした。
入院してから慎重に色々な検査をして10日ほど経ってから
リニアック(放射線治療)を行いました。
当時の記録が残っておらず、正確な数値は残っていません。
今、闘病中の方でこちらを見て下さっている方には
申し訳ないのですが・・
せっちんの治療は脳脊髄照射で、腫瘍のあった部分のみ
数値をあげての照射でした。
放射線室では、治療前の30分くらいの間、
技師さん達とパソコンゲームをして遊んでもらっていたようです。
こうしてリラックスさせて頂いて有難く思いました^^
治療から10日ほど経ってから、せっちんの髪の毛が
少しずつ抜け始め、それから1週間後には
全部抜けてしまいました。
説明では聞いていたものの、やはりショックでした。
2006年03月21日 (火) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
みなさんと涙の別れをした私達ですが、救急車に乗せて頂き、
高速道路を走って転院先の病院にたどり着きました。
こちらの病院は、今まで入院していた病院と違い
非常に大きな病院です。
もちろん、小児病棟も科に分かれていくつもあります。
せっちんの病棟は、主に小児癌の子供たちが入院していました。
24時間看護なので、今までのように私と一緒に過ごす事は
出来ません。
せっちんよりももっと小さな子も、親と離れて入院している
のですから、せっちんも納得したようです。
今までの病院は、お年寄りがほとんどです。
でもこちらは、せっちんよりももっと大変な病気を
抱えた子供さんが、たくさんいます。
今までみたいに甘えた事は出来ないと
せっちんは感じたようで、すっかり悪さはしなくなりました。
こちらの看護士さん達も、なかなか個性豊か♪
芸人が揃っています(良い意味です。さすがは大阪ですかね?)
気管切開をしているせっちんに向かって
「なんや、こいつ」と言ってくる闘病仲間もいましたが
知らん顔を通していたせっちん。
喋れないせっちんと仲良くしてくれる子もたくさんいました。
みなさんと涙の別れをした私達ですが、救急車に乗せて頂き、
高速道路を走って転院先の病院にたどり着きました。
こちらの病院は、今まで入院していた病院と違い
非常に大きな病院です。
もちろん、小児病棟も科に分かれていくつもあります。
せっちんの病棟は、主に小児癌の子供たちが入院していました。
24時間看護なので、今までのように私と一緒に過ごす事は
出来ません。
せっちんよりももっと小さな子も、親と離れて入院している
のですから、せっちんも納得したようです。
今までの病院は、お年寄りがほとんどです。
でもこちらは、せっちんよりももっと大変な病気を
抱えた子供さんが、たくさんいます。
今までみたいに甘えた事は出来ないと
せっちんは感じたようで、すっかり悪さはしなくなりました。
こちらの看護士さん達も、なかなか個性豊か♪
芸人が揃っています(良い意味です。さすがは大阪ですかね?)
気管切開をしているせっちんに向かって
「なんや、こいつ」と言ってくる闘病仲間もいましたが
知らん顔を通していたせっちん。
喋れないせっちんと仲良くしてくれる子もたくさんいました。
2006年03月19日 (日) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
平成9年、10月27日。
放射線治療のため、転院する事になりました。
午後1時に救急車を出して頂き、転院先の病院に
連れて行って頂く事になりました。
この病院には4ヶ月間、お世話になりました。
お世話になった先生。
可愛がってくれていた看護士さん達。
病院の主になりつつあった、せっちんを
可愛がってくれた患者さん達。
入院中、看護士さん達は休憩時間に
代わる代わる、気管切開の為、声が出ないせっちんと
遊んでくれました。
コミュニケーションが取れないので
他に入院している子とも、お友達になれないから
という理由もあったかも知れません。
ポケモンシールをいつもくれた看護士さん、
オセロゲーム持参して遊んでくれる看護士さん、
たくさんの方によくしてもらいました。
親しくして頂いてた患者さんは、ほとんどが
おばあちゃんくらいの年です。
認知症のおばあちゃんとも仲良しでした。
時間が来て救急車に乗り込むときには
たくさんの人が見送りに来て下さいました。
非番の看護士さんまで来て下さっていて・・・
せっちんが救急車に乗る時、認知症のおばあちゃんが
泣き出しました。
それにつられて、私を含め皆さん、涙、涙。
当の本人だけは救急車に乗る事にワクワクしている様子。
私は「せっちん!皆さんにちゃんとお別れを言いなさい!」
と何度も言ったのですが、ちらっと見ただけでした。
この時の話は8年経った今でも、せっちんはしっかりと
覚えています。
誰が泣き出して、救急車を追いかけようとしたかと言う事も。
最後までシャイなせっちん。
せっちんが皆さんの事を忘れないように、
皆さんも覚えて下さってるかな?
なんて思う私です。
平成9年、10月27日。
放射線治療のため、転院する事になりました。
午後1時に救急車を出して頂き、転院先の病院に
連れて行って頂く事になりました。
この病院には4ヶ月間、お世話になりました。
お世話になった先生。
可愛がってくれていた看護士さん達。
病院の主になりつつあった、せっちんを
可愛がってくれた患者さん達。
入院中、看護士さん達は休憩時間に
代わる代わる、気管切開の為、声が出ないせっちんと
遊んでくれました。
コミュニケーションが取れないので
他に入院している子とも、お友達になれないから
という理由もあったかも知れません。
ポケモンシールをいつもくれた看護士さん、
オセロゲーム持参して遊んでくれる看護士さん、
たくさんの方によくしてもらいました。
親しくして頂いてた患者さんは、ほとんどが
おばあちゃんくらいの年です。
認知症のおばあちゃんとも仲良しでした。
時間が来て救急車に乗り込むときには
たくさんの人が見送りに来て下さいました。
非番の看護士さんまで来て下さっていて・・・
せっちんが救急車に乗る時、認知症のおばあちゃんが
泣き出しました。
それにつられて、私を含め皆さん、涙、涙。
当の本人だけは救急車に乗る事にワクワクしている様子。
私は「せっちん!皆さんにちゃんとお別れを言いなさい!」
と何度も言ったのですが、ちらっと見ただけでした。
この時の話は8年経った今でも、せっちんはしっかりと
覚えています。
誰が泣き出して、救急車を追いかけようとしたかと言う事も。
最後までシャイなせっちん。
せっちんが皆さんの事を忘れないように、
皆さんも覚えて下さってるかな?
なんて思う私です。
2006年03月18日 (土) | 編集 |
一昨日、公立高校の試験が終わってほっと一息ついた
せっちんです。
昨日、私と一緒に携帯電話を買いに行きました。
せっちんはとても嬉しそうにしていましたよ。
もちろん、我が家の主義で自分のお小遣いで購入。
ついつい、せっちんに甘くなりがちな私だけど
お兄ちゃんも自分で買って自分で支払っているんだものね。
それだけは、譲れず貯まったお年玉で買ってましたよ。
お兄ちゃんと同じ携帯を買ったので、昨日は2人で
遅くまで携帯をいじってました。
朝起きると、お兄ちゃんの部屋に布団を持ち込んで
2人で寝てました(笑)
17歳、15歳の兄弟ですが本当に仲良しです。
お兄ちゃんは友達と出かける事が多く、遅くに帰ってきたり
友達の家に泊まりに行ったり、友達が泊まりにきたりが
多いのですが、やっぱり兄弟仲良しだなって
見てると思います(^_^)
こんな普通の出来事が、こうして8年前の闘病記を
思い出しながら書いている私にとっては
とても嬉しく、なぜか誇らしげなのでした。
「誇らしげ」の意味は、うまく説明できないのですが(^^ゞ
せっちんです。
昨日、私と一緒に携帯電話を買いに行きました。
せっちんはとても嬉しそうにしていましたよ。
もちろん、我が家の主義で自分のお小遣いで購入。
ついつい、せっちんに甘くなりがちな私だけど
お兄ちゃんも自分で買って自分で支払っているんだものね。
それだけは、譲れず貯まったお年玉で買ってましたよ。
お兄ちゃんと同じ携帯を買ったので、昨日は2人で
遅くまで携帯をいじってました。
朝起きると、お兄ちゃんの部屋に布団を持ち込んで
2人で寝てました(笑)
17歳、15歳の兄弟ですが本当に仲良しです。
お兄ちゃんは友達と出かける事が多く、遅くに帰ってきたり
友達の家に泊まりに行ったり、友達が泊まりにきたりが
多いのですが、やっぱり兄弟仲良しだなって
見てると思います(^_^)
こんな普通の出来事が、こうして8年前の闘病記を
思い出しながら書いている私にとっては
とても嬉しく、なぜか誇らしげなのでした。
「誇らしげ」の意味は、うまく説明できないのですが(^^ゞ
2006年03月16日 (木) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
放射線治療を受けるために、設備の整った大きな病院に転院する事になりました。
その前に、私1人で紹介状やMRIの画像を持って、転院予定先の
病院に診察に行きました。
会ったのは、担当医で小児脳外科の部長先生です。
そこで先生に会って私は悪性腫瘍だと告げられた時以来の
大きなショックを受ける事が起こりました。
私は、全くの無知だったのだと思います。
放射線治療を受けるという事がどんな事なのかを
分かっていなかったのですから。
診察室で先生は辛辣な顔してこう言いました。
「この病気は髄液を伝って頭部だけじゃなくて脊髄にも癌細胞が
流れて転移する可能性があります。
なので、頭部と脊髄の両方に放射線治療を行う事になります」
そこまでは分かっていました。
「発達途中の幼い子供の脳や脊髄に放射線治療を施すと
知的に障害を持つ事になり、背も伸びません」
思ってもみなかった現実でした。
せっちんはそんな病気になってしまったのだと改めて
思った瞬間でした。
次に放射線科の先生と会いました。
その時も同じような話をしてくれましたが、
言い方は全く違いました。
ゆっくりとおだやかに
「私も息子さんと同じ年の息子がいます。
お母さんの気持ちは分かるつもりです。
治療を受ければ脳にダメージを与えることになるから
将来、本当だったらこの子はもうちょっと
勉強が出来るはずなのにと思う事があるかもしれません。
お母さんが悩まれておられる気持ちは分かります。
いくらでも考えてくれても構いません。
ただ・・・
治療を受けなければ、数年後には亡くなるでしょう」
この言葉で私は治療を受ける決心をしました。
(ここで今日の闘病記は終わりです。続きは次回に書かせて頂きますが、現在15歳の息子は知的に障害を持たず、身長も164cmと
成長している事を追記させて頂きます)
放射線治療を受けるために、設備の整った大きな病院に転院する事になりました。
その前に、私1人で紹介状やMRIの画像を持って、転院予定先の
病院に診察に行きました。
会ったのは、担当医で小児脳外科の部長先生です。
そこで先生に会って私は悪性腫瘍だと告げられた時以来の
大きなショックを受ける事が起こりました。
私は、全くの無知だったのだと思います。
放射線治療を受けるという事がどんな事なのかを
分かっていなかったのですから。
診察室で先生は辛辣な顔してこう言いました。
「この病気は髄液を伝って頭部だけじゃなくて脊髄にも癌細胞が
流れて転移する可能性があります。
なので、頭部と脊髄の両方に放射線治療を行う事になります」
そこまでは分かっていました。
「発達途中の幼い子供の脳や脊髄に放射線治療を施すと
知的に障害を持つ事になり、背も伸びません」
思ってもみなかった現実でした。
せっちんはそんな病気になってしまったのだと改めて
思った瞬間でした。
次に放射線科の先生と会いました。
その時も同じような話をしてくれましたが、
言い方は全く違いました。
ゆっくりとおだやかに
「私も息子さんと同じ年の息子がいます。
お母さんの気持ちは分かるつもりです。
治療を受ければ脳にダメージを与えることになるから
将来、本当だったらこの子はもうちょっと
勉強が出来るはずなのにと思う事があるかもしれません。
お母さんが悩まれておられる気持ちは分かります。
いくらでも考えてくれても構いません。
ただ・・・
治療を受けなければ、数年後には亡くなるでしょう」
この言葉で私は治療を受ける決心をしました。
(ここで今日の闘病記は終わりです。続きは次回に書かせて頂きますが、現在15歳の息子は知的に障害を持たず、身長も164cmと
成長している事を追記させて頂きます)
2006年03月15日 (水) | 編集 |
最近私は、老人ホームにいる叔母の事で雑用がたくさんあり
ちょっと疲れていました。
色々な問題が出てきて、叔母の弟である私の父に相談してもパニックに
なるだけだから内緒にしないといけないし。
主人に相談しつつも、実質的に動くのは私。
情緒不安定にもなったりして。
今日も朝から忙しく少し憂鬱な気分になっていました。
市役所など、あちこち行って疲れたので休憩のつもりで
マクドナルドに一人で入ると・・・
そこには長男がお世話になった小学校の時の学童保育の
先生が偶然お食事に来られていました。
お会いするのは6年ぶりくらいかもしれません。
先生には本当にお世話になったんです。
長男の事を常に心配してくれていた先生。
長男が小学3年生だった時に弟が病気になりました。
お兄ちゃんはすごく不安だったと思います。
私はせっちんに、つきっきりだったので、寂しい思いをしたでしょう。
その心をしっかりとフォローしてくれた先生だと思っています。
私たちは、お互いに手を取り合って再会を喜びました。
長男はもうすぐ高校3年生になるという事、せっちんは今は元気だと
いう事、私が再婚した事など報告すると
本当に喜んでくれました。
昨日、こちらの日記にせっちんの小学校時代の事を書きましたが、
なんか、引き寄せられたかのような不思議な再会でした。
普段会うはずのない場所だっただけに。
ちょっと疲れていました。
色々な問題が出てきて、叔母の弟である私の父に相談してもパニックに
なるだけだから内緒にしないといけないし。
主人に相談しつつも、実質的に動くのは私。
情緒不安定にもなったりして。
今日も朝から忙しく少し憂鬱な気分になっていました。
市役所など、あちこち行って疲れたので休憩のつもりで
マクドナルドに一人で入ると・・・
そこには長男がお世話になった小学校の時の学童保育の
先生が偶然お食事に来られていました。
お会いするのは6年ぶりくらいかもしれません。
先生には本当にお世話になったんです。
長男の事を常に心配してくれていた先生。
長男が小学3年生だった時に弟が病気になりました。
お兄ちゃんはすごく不安だったと思います。
私はせっちんに、つきっきりだったので、寂しい思いをしたでしょう。
その心をしっかりとフォローしてくれた先生だと思っています。
私たちは、お互いに手を取り合って再会を喜びました。
長男はもうすぐ高校3年生になるという事、せっちんは今は元気だと
いう事、私が再婚した事など報告すると
本当に喜んでくれました。
昨日、こちらの日記にせっちんの小学校時代の事を書きましたが、
なんか、引き寄せられたかのような不思議な再会でした。
普段会うはずのない場所だっただけに。
2006年03月14日 (火) | 編集 |
今日はせっちんの中学の卒業式でした。
証書授与の時、一人一人を見ていると
色んな思い出が湧き出てきました。
この中学の3分の1が同じ小学校の友達がいるので
知ってる子がたくさんいます。
「あっ、あの子はせっちんを助けてくれた子!」
「あっ、あの子は・・・・」
色んな思いで私は賞状を校長先生から頂くみんなの
姿を見ていました。
一番思い出が深いのは今から8年前の、せっちんが退院して
9ヶ月ぶりに登校した時の事。
学校復帰はとても心配していた事なので、忘れる事は出来ません。
あれは小学1年生の3月半ばでした。
せっちんの後頭部には15cmほどの傷があります。
それは首の所まであり、今は髪の毛で隠れていますが
当時、丸坊主だったせっちんは首の傷が目立ちました。
深いタイプの帽子をかぶって登校してたんですが、
授業中は帽子を脱がないといけないというルールがあります。
しかし、お友達は「みんな、帽子を脱げよ!
でも、せっちんは帽子は脱がなくてもいいから」
と言ってくれたりしたそうです。
そんな中、せっちんの事を悪ふさけで傷の事を
「チャックがついてる」とからかった子がいたそうです。
せっちんはマイペースな子なので
無視していたんですが、「チャック」「チャック」と
はやし立てられたらしい。
せっちんは家に帰って恥ずかしそうに私に報告してくれました。
「何!?誰や!その子は!」と私が怒ると
「ええねん。無視してるから」
と、せっちんは言ってました。
悪ふざけを言う子から、せっちんを守ってくれる子も
たくさんいました。
意外と腕白坊主な子ほど、正義の味方なんですね。
そんな中、私はどうする事も出来ないので
傍観していると・・・・
気がついたら、その悪ふざけした子と仲良しになっていました。
子供の世界って分からないもんですね。
きっと、その子は退院して、みんなに優しくしてもらっている
せっちんが羨ましかったのかな?
きっと、せっちんと仲良くなりたいって思ってくれてたのかな?
と、私なりに解釈しました。
そんな彼らも、今日で卒業!
新しい世界に羽ばたいていくんですね(^^)
一人、観想にふけって涙ぐむ私でした^^
証書授与の時、一人一人を見ていると
色んな思い出が湧き出てきました。
この中学の3分の1が同じ小学校の友達がいるので
知ってる子がたくさんいます。
「あっ、あの子はせっちんを助けてくれた子!」
「あっ、あの子は・・・・」
色んな思いで私は賞状を校長先生から頂くみんなの
姿を見ていました。
一番思い出が深いのは今から8年前の、せっちんが退院して
9ヶ月ぶりに登校した時の事。
学校復帰はとても心配していた事なので、忘れる事は出来ません。
あれは小学1年生の3月半ばでした。
せっちんの後頭部には15cmほどの傷があります。
それは首の所まであり、今は髪の毛で隠れていますが
当時、丸坊主だったせっちんは首の傷が目立ちました。
深いタイプの帽子をかぶって登校してたんですが、
授業中は帽子を脱がないといけないというルールがあります。
しかし、お友達は「みんな、帽子を脱げよ!
でも、せっちんは帽子は脱がなくてもいいから」
と言ってくれたりしたそうです。
そんな中、せっちんの事を悪ふさけで傷の事を
「チャックがついてる」とからかった子がいたそうです。
せっちんはマイペースな子なので
無視していたんですが、「チャック」「チャック」と
はやし立てられたらしい。
せっちんは家に帰って恥ずかしそうに私に報告してくれました。
「何!?誰や!その子は!」と私が怒ると
「ええねん。無視してるから」
と、せっちんは言ってました。
悪ふざけを言う子から、せっちんを守ってくれる子も
たくさんいました。
意外と腕白坊主な子ほど、正義の味方なんですね。
そんな中、私はどうする事も出来ないので
傍観していると・・・・
気がついたら、その悪ふざけした子と仲良しになっていました。
子供の世界って分からないもんですね。
きっと、その子は退院して、みんなに優しくしてもらっている
せっちんが羨ましかったのかな?
きっと、せっちんと仲良くなりたいって思ってくれてたのかな?
と、私なりに解釈しました。
そんな彼らも、今日で卒業!
新しい世界に羽ばたいていくんですね(^^)
一人、観想にふけって涙ぐむ私でした^^
2006年03月13日 (月) | 編集 |
9月にシャント術をしたせっちんですが、再び回復に向かい次は転院し
て放射線治療を受ける事になりました。
こちらの病院は、放射線治療の設備がないので最新の設備の整った病院
を紹介して下さるとのこと。
そして、放射線治療を受けるには、シャントの管を止めなければいけな
いと説明を受けました。
そうでないと、放射線治療を受けてる時に、わずかに残ったがん細胞が
髄液を流れて胃に落ちて全身に回るからだとそうです。
10月18日、転院する前の準備として、胸の辺りのシャントの管を閉
じる手術をしました。
簡単な手術とはいえ、また手術。
私は、心の中で泣きそうでした。
せっちんは「え〜っ」って顔をいがめていました。
気管切開をしているため、声が出ないので表情で語ってくれます。
うまく言えませんが、なぜか私は、少し救われた気がしました。
せっちんに、辛そうに泣かれたり「もう嫌」と泣いたり暴れたりしたら
私はどのように、せっちんを説得すればいいのか言葉が見当たらなかったからです。
変な表現で申し訳ないのですが、まるで「今日はおやつ抜きよ」と言わ
れた子供が、すねた時のような、そんな軽い表情でした。
本当に辛い時は、意外とこんな表現になってしまう。
せっちんは、私と本当によく似ています。
そう思うと胸が痛みました。
て放射線治療を受ける事になりました。
こちらの病院は、放射線治療の設備がないので最新の設備の整った病院
を紹介して下さるとのこと。
そして、放射線治療を受けるには、シャントの管を止めなければいけな
いと説明を受けました。
そうでないと、放射線治療を受けてる時に、わずかに残ったがん細胞が
髄液を流れて胃に落ちて全身に回るからだとそうです。
10月18日、転院する前の準備として、胸の辺りのシャントの管を閉
じる手術をしました。
簡単な手術とはいえ、また手術。
私は、心の中で泣きそうでした。
せっちんは「え〜っ」って顔をいがめていました。
気管切開をしているため、声が出ないので表情で語ってくれます。
うまく言えませんが、なぜか私は、少し救われた気がしました。
せっちんに、辛そうに泣かれたり「もう嫌」と泣いたり暴れたりしたら
私はどのように、せっちんを説得すればいいのか言葉が見当たらなかったからです。
変な表現で申し訳ないのですが、まるで「今日はおやつ抜きよ」と言わ
れた子供が、すねた時のような、そんな軽い表情でした。
本当に辛い時は、意外とこんな表現になってしまう。
せっちんは、私と本当によく似ています。
そう思うと胸が痛みました。
2006年03月12日 (日) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
悪さ出来るくらいに元気になってきたせっちんですが、
術後、後頭部に水が溜まるようになりました。
せっちんは術後から、後頭部の骨が一部ない状態です。
そこに水が溜まって、どんどん後頭部が膨れ上がってきます。
まるで、水風船のように。
3日置きに、注射針で液体を抜いてもらっていたのですが
2〜3日経つと、また水が溜まるという事の繰り返し。
水と表現しましたが、髄液の事です。
そこで9月1日、シャント術という手術をしてもらうことになりました。
せっちんの場合のシャント術とは脳にたまった水を脳の外にバイパスを造って流す手術法で、脳質に管を差し、その管を皮下を通してお腹に入れて、水が胃に落ちるようにする事です。
簡単な手術だと先生は言ってましたが、正直言って
私は、「また手術か・・」とため息をつきました。
実際、脳腫瘍の手術に比べるとかなり短い時間で手術は
終わりましたが、せっかく元気になったのに、またしばらくは
NCUに逆戻りなんだと思うと、症状が治まってくれる
有難さと共に、複雑な心境でした。
悪さ出来るくらいに元気になってきたせっちんですが、
術後、後頭部に水が溜まるようになりました。
せっちんは術後から、後頭部の骨が一部ない状態です。
そこに水が溜まって、どんどん後頭部が膨れ上がってきます。
まるで、水風船のように。
3日置きに、注射針で液体を抜いてもらっていたのですが
2〜3日経つと、また水が溜まるという事の繰り返し。
水と表現しましたが、髄液の事です。
そこで9月1日、シャント術という手術をしてもらうことになりました。
せっちんの場合のシャント術とは脳にたまった水を脳の外にバイパスを造って流す手術法で、脳質に管を差し、その管を皮下を通してお腹に入れて、水が胃に落ちるようにする事です。
簡単な手術だと先生は言ってましたが、正直言って
私は、「また手術か・・」とため息をつきました。
実際、脳腫瘍の手術に比べるとかなり短い時間で手術は
終わりましたが、せっかく元気になったのに、またしばらくは
NCUに逆戻りなんだと思うと、症状が治まってくれる
有難さと共に、複雑な心境でした。
2006年03月10日 (金) | 編集 |
昨日は家族で大きなショッピングモールにお出かけしました。
食事をしたり、買い物をしたりデザートを食べたりと
充実しましたよ。
せっちんだけは、学校なので行けませんでしたが。
高2のお兄ちゃんが買い物に一緒についてきたのには
びっくり。
長男は、ホントいまどき風の男の子。
服装や髪型もそう。
親と出かけるなんて、最近はめったにありません。
息子を誘ってお母さんと2人でランチに♪と思っても
絶対についてこない子なんです。
冗談を言って笑いあったり、色んな話をしたりして
楽しかったです。
普段はお父さんが帰ってきても、時間が遅いので子供たちは部屋に入っていて、「おかえり」という挨拶くらいしかしないけど、たまにはこういうのもいいなぁ。
親子歴3年の父子にとって、貴重な1日だったかも♪
昨日の買い物では、主人が靴を買いました。
私は、スカーフを見ていたんですが、
「どれがいいと思う?」と聞くと
「中尾あき○」のマネがしたいんか?」と言われたので
止めました(笑)
すごく気に入ったのあれば、何を言われても買ったと思いますが。
そんなアドバイスをくれるとっても優しい旦那です(ーー;)
食事をしたり、買い物をしたりデザートを食べたりと
充実しましたよ。
せっちんだけは、学校なので行けませんでしたが。
高2のお兄ちゃんが買い物に一緒についてきたのには
びっくり。
長男は、ホントいまどき風の男の子。
服装や髪型もそう。
親と出かけるなんて、最近はめったにありません。
息子を誘ってお母さんと2人でランチに♪と思っても
絶対についてこない子なんです。
冗談を言って笑いあったり、色んな話をしたりして
楽しかったです。
普段はお父さんが帰ってきても、時間が遅いので子供たちは部屋に入っていて、「おかえり」という挨拶くらいしかしないけど、たまにはこういうのもいいなぁ。
親子歴3年の父子にとって、貴重な1日だったかも♪
昨日の買い物では、主人が靴を買いました。
私は、スカーフを見ていたんですが、
「どれがいいと思う?」と聞くと
「中尾あき○」のマネがしたいんか?」と言われたので
止めました(笑)
すごく気に入ったのあれば、何を言われても買ったと思いますが。
そんなアドバイスをくれるとっても優しい旦那です(ーー;)
2006年03月08日 (水) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
気管切開している喉からは夜中でも容赦なく痰が出たり、
詰まったりして呼吸が苦しくなります。
頻繁に看護士さんを呼んで吸引してもらうのが
気の毒だったので、私は自分で吸引していたのですが
夜もろくに眠れず、家に帰って昼寝をすることも出来ず、
ただひたすら父と長男の為に家事をしてすぐに病室に戻って・・・
という生活にストレスは限界だったのかもしれません。
そして今まで、誰にも弱音を吐いたりしなかった為、
こんな時に爆発してしまったのです。
よりによって、せっちんの前で。そして大部屋で5人の患者さんも
聞いているというのに。
弱い人間がつっぱると、こうなるのですね。
看護士さんに大声で自分の思いをぶちまけてしまってからは
いっぺんに大部屋の中は静まり返りました。
看護士さんも号泣する私を、どう慰めていいか困った様子。
ただ、「もうすぐきっと帰れるよ。せっちんがいい子なのは
知ってるから」と優しく言ってくれました。
でもそれからは今まで以上に病室の人が優しく気づかってくれるように
なり、せっちんも私の言う事を聞くようになりました。
私が長男を学校に送り出す為に家に帰ってる間、せっちんの
相手をしてくれたり、せっちんのした事を報告たりしてくれました。
「せっちんはお母さんのいない間、いい子だったので
誉めてあげて下さい」と、同室の同じく気管切開をしておられる
初老の女性が手紙を書いてくれた事もありました。
この病院に入院される方は、殆どが脳疾患を患っているお年寄りの方が
多く同室の方もおばあちゃんばかりでした。
孫のような年のせっちんに、愛着を感じてくれたのでしょうか。
そして、せっちんも痴呆症のおばあちゃんや動けないおばあちゃんに
とても親切にしていました。
私達の周りには優しい人が集まるように神様がそうしむけて
くれたのかも知れませんね。
悪い事ばかりじゃないなって
思いました。
気管切開している喉からは夜中でも容赦なく痰が出たり、
詰まったりして呼吸が苦しくなります。
頻繁に看護士さんを呼んで吸引してもらうのが
気の毒だったので、私は自分で吸引していたのですが
夜もろくに眠れず、家に帰って昼寝をすることも出来ず、
ただひたすら父と長男の為に家事をしてすぐに病室に戻って・・・
という生活にストレスは限界だったのかもしれません。
そして今まで、誰にも弱音を吐いたりしなかった為、
こんな時に爆発してしまったのです。
よりによって、せっちんの前で。そして大部屋で5人の患者さんも
聞いているというのに。
弱い人間がつっぱると、こうなるのですね。
看護士さんに大声で自分の思いをぶちまけてしまってからは
いっぺんに大部屋の中は静まり返りました。
看護士さんも号泣する私を、どう慰めていいか困った様子。
ただ、「もうすぐきっと帰れるよ。せっちんがいい子なのは
知ってるから」と優しく言ってくれました。
でもそれからは今まで以上に病室の人が優しく気づかってくれるように
なり、せっちんも私の言う事を聞くようになりました。
私が長男を学校に送り出す為に家に帰ってる間、せっちんの
相手をしてくれたり、せっちんのした事を報告たりしてくれました。
「せっちんはお母さんのいない間、いい子だったので
誉めてあげて下さい」と、同室の同じく気管切開をしておられる
初老の女性が手紙を書いてくれた事もありました。
この病院に入院される方は、殆どが脳疾患を患っているお年寄りの方が
多く同室の方もおばあちゃんばかりでした。
孫のような年のせっちんに、愛着を感じてくれたのでしょうか。
そして、せっちんも痴呆症のおばあちゃんや動けないおばあちゃんに
とても親切にしていました。
私達の周りには優しい人が集まるように神様がそうしむけて
くれたのかも知れませんね。
悪い事ばかりじゃないなって
思いました。
2006年03月08日 (水) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
当時、夏休み中という事もあり、病院にはもやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)
という頭部の血管の病気を持つお子さんが何人か入院されてきました。
この病気は聞いた話では大至急に手術をする必要性が少ない為
(2度目や3度目の手術の場合だと思います。)
夏休みを利用して手術を受けられる方が多いらしいです。
何度も手術をしないといけない人も多いらしく、
とても大変な病気だと聞いています。患者のお母さん方とは
大変仲良くして頂き、夜中に病室を抜け出しては1階の
待合室でジュースを片手に語り合ったものです。
この病院は手術は行うのですが、放射線治療などの設備が無い為
癌の患者さんはほとんどいません。
せっちんは緊急といった形で入院したので、こちらでお世話になりましたが
入院している他のお子さんは、その時は全てもやもや病患者でした。
偶然、入院されているお子さんは2度目の手術の子ばかりで
(2度目の術後は回復が早いらしいです。)3週間ほどで退院されています。
術後10日ほどで元気になり、病棟内をお菓子を食べながら
走り回っている姿を、せっちんと見る度にその子には申し訳ないけど、
羨ましく思ったものでした。せっちんはお菓子を食べる事はおろか、
喋る事も出来ないというのに・・・・
そして、いつも私たちは仲良くなったその親子を笑顔で
見送る役でした。しかも彼らの退院日はせっちんの受けた数回の手術日に重なる日が多く
皮肉なものだなと感じました。
当時、夏休み中という事もあり、病院にはもやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)
という頭部の血管の病気を持つお子さんが何人か入院されてきました。
この病気は聞いた話では大至急に手術をする必要性が少ない為
(2度目や3度目の手術の場合だと思います。)
夏休みを利用して手術を受けられる方が多いらしいです。
何度も手術をしないといけない人も多いらしく、
とても大変な病気だと聞いています。患者のお母さん方とは
大変仲良くして頂き、夜中に病室を抜け出しては1階の
待合室でジュースを片手に語り合ったものです。
この病院は手術は行うのですが、放射線治療などの設備が無い為
癌の患者さんはほとんどいません。
せっちんは緊急といった形で入院したので、こちらでお世話になりましたが
入院している他のお子さんは、その時は全てもやもや病患者でした。
偶然、入院されているお子さんは2度目の手術の子ばかりで
(2度目の術後は回復が早いらしいです。)3週間ほどで退院されています。
術後10日ほどで元気になり、病棟内をお菓子を食べながら
走り回っている姿を、せっちんと見る度にその子には申し訳ないけど、
羨ましく思ったものでした。せっちんはお菓子を食べる事はおろか、
喋る事も出来ないというのに・・・・
そして、いつも私たちは仲良くなったその親子を笑顔で
見送る役でした。しかも彼らの退院日はせっちんの受けた数回の手術日に重なる日が多く
皮肉なものだなと感じました。
2006年03月07日 (火) | 編集 |
私の叔母は夫と死別して、今は老人ホームにいます。
子供のいない叔母の法的な保護人(成年後見人)に
なってしまった私は、今日も老人ホームから電話があり
呼ばれました。
最近、叔母の様子がおかしいとのこと。
病気で半身不随になり、老人ホームに入って半年。
やっと落ち着いてきたはずなのに、幻覚が見えるのか
亡くなった叔父の事ばかり言ってるらしい。
夫が枕元に立って話しかけると。
その度に寮母さんに訴える叔母なのですが、最近は
訴えがひどくなったみたい。
お金がないと騒ぐこともあるらしい。
病気になる前は、わがまま放題、好き放題で周りを困らせた叔母。
私の母親を死ぬまで、こき使ってきた叔母。
実の弟である私の父親ですら、叔母の事は嫌ってる。
私の母が早くに亡くなったのも、心臓が悪いと知ってて
こき使ったせいだと、逆恨みのような気持ちもあるみたい。
もちろん私もノイローゼになるかと思ったくらいに
困らされた事もあった。
散々迷惑をかけられた近所の人も、叔母がいなくなって
万々歳!その様子が、表情に露骨ににじみ出てる。
そんな叔母だけど、私が行くと子供のように声をあげて泣き、
「来てくれたんか」と手を握る。
とても嬉しそうに。
私は複雑な心境でいながら、もうこの叔母を以前のように
憎むことは出来ないんだろうなぁ。と思いました。
今日は色々あった日でした(^_^;)
子供のいない叔母の法的な保護人(成年後見人)に
なってしまった私は、今日も老人ホームから電話があり
呼ばれました。
最近、叔母の様子がおかしいとのこと。
病気で半身不随になり、老人ホームに入って半年。
やっと落ち着いてきたはずなのに、幻覚が見えるのか
亡くなった叔父の事ばかり言ってるらしい。
夫が枕元に立って話しかけると。
その度に寮母さんに訴える叔母なのですが、最近は
訴えがひどくなったみたい。
お金がないと騒ぐこともあるらしい。
病気になる前は、わがまま放題、好き放題で周りを困らせた叔母。
私の母親を死ぬまで、こき使ってきた叔母。
実の弟である私の父親ですら、叔母の事は嫌ってる。
私の母が早くに亡くなったのも、心臓が悪いと知ってて
こき使ったせいだと、逆恨みのような気持ちもあるみたい。
もちろん私もノイローゼになるかと思ったくらいに
困らされた事もあった。
散々迷惑をかけられた近所の人も、叔母がいなくなって
万々歳!その様子が、表情に露骨ににじみ出てる。
そんな叔母だけど、私が行くと子供のように声をあげて泣き、
「来てくれたんか」と手を握る。
とても嬉しそうに。
私は複雑な心境でいながら、もうこの叔母を以前のように
憎むことは出来ないんだろうなぁ。と思いました。
今日は色々あった日でした(^_^;)
2006年03月07日 (火) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
せっちんは甘えがひどくなったのか、みんなにチヤホヤされるのに
調子に乗ったのか、悪さばかりするようになりました。
それは、私にとっては笑えないものです。
私はいたずらばかりするせっちんをすごく怒りました。
してはいけない事だとわかりながら、あまりにもいう事を聞かない。
せっちんの悪さはだんだんエスカレートしてきて
看護士さんが血圧を計ろうとしても計らせない、
熱も測らせない、叩く、ひっかくとわがまま放題でした。
私はそんなせっちんに、あざが出来るくらい思いっきりつねったりした事も何度もあります。
ある日、いつものように看護士さんに謝っていると不覚にも泣けてきました。
「すいません。この子は本当はすごくいい子なんです。
おとなしくて人に優しいいい子なのに、今は喋れなく食事が出来ない
イライラで看護士さんに悪い事ばかりしてるだけなんです。
許して下さい。どうして病気の息子をこんなになるまで
つねったりして怒らなければいけないのでしょう。
いつまで、ここにいないといけないのでしょう。
他の病気の人はみんな早くに退院してるというのに・・・
私達も早く、家に帰りたいわ」
とてもつじつまの合わない事を口走ってしまいました。
せっちんがこんなにも明るく頑張っているにもかかわらず、
すごい事を大声で叫んでいました。
「いつまで生きられるかも分からないのに」といういつも
胸の中にある言葉だけはぐっと飲み込むことが出来ました。
私は弱い母親です。心の片隅にはずっとこの思いがありました。
頑張っているせっちんに申し訳ないと思いながらも・・・
せっちんは甘えがひどくなったのか、みんなにチヤホヤされるのに
調子に乗ったのか、悪さばかりするようになりました。
それは、私にとっては笑えないものです。
私はいたずらばかりするせっちんをすごく怒りました。
してはいけない事だとわかりながら、あまりにもいう事を聞かない。
せっちんの悪さはだんだんエスカレートしてきて
看護士さんが血圧を計ろうとしても計らせない、
熱も測らせない、叩く、ひっかくとわがまま放題でした。
私はそんなせっちんに、あざが出来るくらい思いっきりつねったりした事も何度もあります。
ある日、いつものように看護士さんに謝っていると不覚にも泣けてきました。
「すいません。この子は本当はすごくいい子なんです。
おとなしくて人に優しいいい子なのに、今は喋れなく食事が出来ない
イライラで看護士さんに悪い事ばかりしてるだけなんです。
許して下さい。どうして病気の息子をこんなになるまで
つねったりして怒らなければいけないのでしょう。
いつまで、ここにいないといけないのでしょう。
他の病気の人はみんな早くに退院してるというのに・・・
私達も早く、家に帰りたいわ」
とてもつじつまの合わない事を口走ってしまいました。
せっちんがこんなにも明るく頑張っているにもかかわらず、
すごい事を大声で叫んでいました。
「いつまで生きられるかも分からないのに」といういつも
胸の中にある言葉だけはぐっと飲み込むことが出来ました。
私は弱い母親です。心の片隅にはずっとこの思いがありました。
頑張っているせっちんに申し訳ないと思いながらも・・・
2006年03月06日 (月) | 編集 |
先日、以前に勤めていた職場に遊びに行きました。
軽度知的障害者の高校3年生の2人の女の子を送る会だったのですが
他の子供達とも、楽しく交流してきましたよ♪
彼女達は卒業後は、ある授産所に住み込みで働くそうです。
私が彼女達と関わったのは1年生の時の1年間だけ。
あの時は甘えん坊で、わがままを言って泣いてばかりでしたが
素敵なお姉さんになっていました。
成長の早さに驚く私です。
調理室で先生達がカレーを作って下さりみんなで楽しく食べました。
生徒はみんなで6人でして、みんな人懐っこい子ばかり。
私は高3の2人としか、関わった事はなかったけど、高2、高1の子達
とも仲良しになりました。
みんな冗談も通じて楽しくて優しくて、そしてピュアで♪
もう最高に楽しいひとときでした(^_^)
仕事を辞めて家に閉じこもってばかりの私にとって、刺激的な1日でしたよ〜
軽度知的障害者の高校3年生の2人の女の子を送る会だったのですが
他の子供達とも、楽しく交流してきましたよ♪
彼女達は卒業後は、ある授産所に住み込みで働くそうです。
私が彼女達と関わったのは1年生の時の1年間だけ。
あの時は甘えん坊で、わがままを言って泣いてばかりでしたが
素敵なお姉さんになっていました。
成長の早さに驚く私です。
調理室で先生達がカレーを作って下さりみんなで楽しく食べました。
生徒はみんなで6人でして、みんな人懐っこい子ばかり。
私は高3の2人としか、関わった事はなかったけど、高2、高1の子達
とも仲良しになりました。
みんな冗談も通じて楽しくて優しくて、そしてピュアで♪
もう最高に楽しいひとときでした(^_^)
仕事を辞めて家に閉じこもってばかりの私にとって、刺激的な1日でしたよ〜
2006年03月05日 (日) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
身体が回復し、私が24時間付き添う事を条件にやっと
一般病棟に移る事が出来ました。
最初の病室は、詰め所の隣です。
詰め所からはガラス張りになっているので、お互いに中の状態がわかるのです。
この病室に入るやいなや、詰め所からたくさんの看護婦さんが
ガラスにへばりつくように、せっちんを見ています。
「かわいい〜」
そんな声も聞こえてきました(^_^)
こちらの看護士さんは20歳代の方が多いのですが、
キャピキャピした印象でした。明るくて優しくて・・・
一般病棟に移るとテレビが見られるようになるので
せっちんも大はしゃぎ。
大好きなNCUの看護士さん達と離れるのは辛いけど
しょっちゅう遊びに来てくれるので、本当にありがたかったです。
一般病棟の看護士さんも優しい人ばかりで
せっちんの担当の看護士さんもとびっきりのかわいい、優しい人でした。
せっちんはすぐに彼女に恋をしてしまったようです。
これは本当に余談なのですが、私とは似ても似つかないこの看護士さんに
まわりの人はよく似てると言ってくれました。(気の毒に)
「せっちん君はお母さんが大好きだから、お母さんによく似た
H看護士さんが好きやねんな」とからかわれるたびに
お絵かきボードで「ちがう、お母さんはデブでぶさいく」と
必死に抗議するのがおもしろかったです。
ひょうきんだけど、本来は人見知りの激しい子だったのに
喋れなくなったとたんに自己主張の激しい子になりました。
色んな看護士さんにいたずらばかりしたり、せっちんを
自分の息子と周りに言ってくれるほど可愛がってくれている
担当医の先生にもいたずらばかりしていました。
こんな悪ガキでわがままなせっちんを先生や看護士さんや
同室の方々など、本当に良くして頂けたので深く感謝しています。
せっちんのわがままぶりに看護士2年目のHさんは本当はストレスがたまっていたかも
知れないのに、いつも笑顔で優しく接して下さいました。
身体が回復し、私が24時間付き添う事を条件にやっと
一般病棟に移る事が出来ました。
最初の病室は、詰め所の隣です。
詰め所からはガラス張りになっているので、お互いに中の状態がわかるのです。
この病室に入るやいなや、詰め所からたくさんの看護婦さんが
ガラスにへばりつくように、せっちんを見ています。
「かわいい〜」
そんな声も聞こえてきました(^_^)
こちらの看護士さんは20歳代の方が多いのですが、
キャピキャピした印象でした。明るくて優しくて・・・
一般病棟に移るとテレビが見られるようになるので
せっちんも大はしゃぎ。
大好きなNCUの看護士さん達と離れるのは辛いけど
しょっちゅう遊びに来てくれるので、本当にありがたかったです。
一般病棟の看護士さんも優しい人ばかりで
せっちんの担当の看護士さんもとびっきりのかわいい、優しい人でした。
せっちんはすぐに彼女に恋をしてしまったようです。
これは本当に余談なのですが、私とは似ても似つかないこの看護士さんに
まわりの人はよく似てると言ってくれました。(気の毒に)
「せっちん君はお母さんが大好きだから、お母さんによく似た
H看護士さんが好きやねんな」とからかわれるたびに
お絵かきボードで「ちがう、お母さんはデブでぶさいく」と
必死に抗議するのがおもしろかったです。
ひょうきんだけど、本来は人見知りの激しい子だったのに
喋れなくなったとたんに自己主張の激しい子になりました。
色んな看護士さんにいたずらばかりしたり、せっちんを
自分の息子と周りに言ってくれるほど可愛がってくれている
担当医の先生にもいたずらばかりしていました。
こんな悪ガキでわがままなせっちんを先生や看護士さんや
同室の方々など、本当に良くして頂けたので深く感謝しています。
せっちんのわがままぶりに看護士2年目のHさんは本当はストレスがたまっていたかも
知れないのに、いつも笑顔で優しく接して下さいました。
2006年03月03日 (金) | 編集 |

今日のレシピは照り焼き風野菜の豚肉巻きです。
甘辛く仕上げるのが我が家風。
〔4人分〕
豚肉スライス/400g
にんじん/1本
いんげん/150g(私は冷凍を使いました)
小麦粉/適量
たれ
醤油、砂糖、みりん、酒を適量
1.にんじんを4〜5cmくらいの長さになるように
細長く切り、冷凍いんげんと一緒に茹でる
2.「1」を豚肉で巻く
3.「2」を小麦粉を薄く、はたくように付けます。
それをフライパンで焼く
4.火が通ったらタレをまぶしながら、絡めてさらに焼く
今日は豚肉がたくさんあったので、このメニューにしました。
付け合せはほうれん草のおひたしを、だし醤油とすりゴマであえています。
冷凍インゲンは筋をむかなくてもいいので私向きです(笑)
照り焼きのタレはお好みの量で合わせて下さいね。
2006年03月03日 (金) | 編集 |
以前にせっちんの受験の話をこちらで書かせて頂いたのですが、
色々な方からメールで気にかけて頂き、本当にありがとうございました。
昨日、発表だったのですが結果は残念な事になりました。
同じ中学から受けた子の半分が合格したそうですが、
狭き門だったのでしょうね。
本人は発表を見た瞬間はショックを受けたと思いますが、
一緒に合格発表を見に行った友達と、帰り道に愚痴を言い合ったり
励ましあったりして、元気が出たようです。
公立高校の後期試験に受けることができるので、そちらを
頑張って受ける事になりました。
今日は、落ち着かなかったけど、ふと考えると病気の定期検査
の結果を聞く時よりもマシやなぁなんて主人と話してたんです。
受験も大切だけど、もっともっと過酷な「結果待ち」を今まで
何度も、何度も乗り越えてきたんだなぁって思うと、少しは楽
になりました(^_^)結果は残念だったけど(苦笑)
子供が大きな病気をしていた親はみんなそうですよね。
本人はもっと辛いのだけど。
しっかり寝て、今日は元気に登校しましたよ。
色々な方からメールで気にかけて頂き、本当にありがとうございました。
昨日、発表だったのですが結果は残念な事になりました。
同じ中学から受けた子の半分が合格したそうですが、
狭き門だったのでしょうね。
本人は発表を見た瞬間はショックを受けたと思いますが、
一緒に合格発表を見に行った友達と、帰り道に愚痴を言い合ったり
励ましあったりして、元気が出たようです。
公立高校の後期試験に受けることができるので、そちらを
頑張って受ける事になりました。
今日は、落ち着かなかったけど、ふと考えると病気の定期検査
の結果を聞く時よりもマシやなぁなんて主人と話してたんです。
受験も大切だけど、もっともっと過酷な「結果待ち」を今まで
何度も、何度も乗り越えてきたんだなぁって思うと、少しは楽
になりました(^_^)結果は残念だったけど(苦笑)
子供が大きな病気をしていた親はみんなそうですよね。
本人はもっと辛いのだけど。
しっかり寝て、今日は元気に登校しましたよ。
2006年03月03日 (金) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
こちらの病院は大人の血液疾患の方が多く入院しています。
せっちんのような病気の人はほとんどいません。
NCUには植物状態になった方がほとんどでした。
面会時間になるとそれぞれの患者さんに、たくさんの家族の方が来られますが、話しかける姿、ただ、ずっと黙って顔を見つめ手を握ってる姿、色んな光景が目に入ってきます。
中には術後の1日だけ入ってこられる方もいますが、意識がしっかりありながら、長く滞在してるのはせっちんだけでした。
気管切開をしているため、のどに埋まったカニューレという管からひっきしなしに出てくる痰を24時間体制で吸引してもらわないと、呼吸が苦しくなるのでNCUを出る事が出来ないのは仕方ありませんが、日に日にしっかりとしてくるせっちんは、早く一般病棟に移りたくて仕方がありませんでした。
こちらではテレビも見れないからです。
退屈しないように、毎日お兄ちゃんを連れて行き、ベットの上で遊んでもらいました。
他の患者さんに迷惑がかかってはいけないので、短時間でしたが。
お兄ちゃんは笑わすのが上手なので、せっちんはいつも笑ってばかり。
そのたびに私は手を口に持っていって「し〜っ」ってするのでした。
うちの兄弟が高2、中3になっても特別に仲良しなのは、この時の思い出があるからかな?
殴り合いの喧嘩もするけど、すぐに仲直りして時々はお互いの部屋に布団を持っていって一緒に寝る事もあります(というか遊んでるんですが)
お兄ちゃんが今でも言います。
「ずっと3人で生きてきた感」があるなぁって(^_^)
私は以前、ホームヘルパーをやっていたので、器官吸引の経験があります。
そこで先生にお願いして、私が24時間付き添う事を条件に一般病棟に移動する事をお願いしたのです。
そしてNCUに来てから3週間後に一般病棟に移れる事になりました。
せっちんは大喜び。
私も、これで24時間ずっとせっちんのそばにいられると思うと、凄く嬉しかったです。
こちらの病院は大人の血液疾患の方が多く入院しています。
せっちんのような病気の人はほとんどいません。
NCUには植物状態になった方がほとんどでした。
面会時間になるとそれぞれの患者さんに、たくさんの家族の方が来られますが、話しかける姿、ただ、ずっと黙って顔を見つめ手を握ってる姿、色んな光景が目に入ってきます。
中には術後の1日だけ入ってこられる方もいますが、意識がしっかりありながら、長く滞在してるのはせっちんだけでした。
気管切開をしているため、のどに埋まったカニューレという管からひっきしなしに出てくる痰を24時間体制で吸引してもらわないと、呼吸が苦しくなるのでNCUを出る事が出来ないのは仕方ありませんが、日に日にしっかりとしてくるせっちんは、早く一般病棟に移りたくて仕方がありませんでした。
こちらではテレビも見れないからです。
退屈しないように、毎日お兄ちゃんを連れて行き、ベットの上で遊んでもらいました。
他の患者さんに迷惑がかかってはいけないので、短時間でしたが。
お兄ちゃんは笑わすのが上手なので、せっちんはいつも笑ってばかり。
そのたびに私は手を口に持っていって「し〜っ」ってするのでした。
うちの兄弟が高2、中3になっても特別に仲良しなのは、この時の思い出があるからかな?
殴り合いの喧嘩もするけど、すぐに仲直りして時々はお互いの部屋に布団を持っていって一緒に寝る事もあります(というか遊んでるんですが)
お兄ちゃんが今でも言います。
「ずっと3人で生きてきた感」があるなぁって(^_^)
私は以前、ホームヘルパーをやっていたので、器官吸引の経験があります。
そこで先生にお願いして、私が24時間付き添う事を条件に一般病棟に移動する事をお願いしたのです。
そしてNCUに来てから3週間後に一般病棟に移れる事になりました。
せっちんは大喜び。
私も、これで24時間ずっとせっちんのそばにいられると思うと、凄く嬉しかったです。
2006年03月02日 (木) | 編集 |

今日は肉じゃが風コロッケレシピを♪
メークインじゃがいも/5個
玉ねぎ/1個
合い挽き肉/400g
砂糖、しょうゆは適量
卵/1個
小麦粉
パン粉
1.じゃがいもを軟らかくなるまで茹でる
2.玉ねぎをみじん切りにし、ひき肉と一緒に炒める。
この時に、砂糖、醤油を入れて甘辛い味付けにします。
3.1と2をボールに入れて、よく混ぜ合わせる。
味を整えるために塩、こしょうを加えます。
4.3を小判型に丸めていく
5.タネを小麦粉、卵、パン粉の順につけて油で揚げる。
ちなみに私は、小麦粉、卵要らずの「直づけパン粉」を
使って手抜きしています(^^ゞ
仕上がりは、変わらないようなので、いつもコレです♪
コロッケの味が肉じゃが風に甘辛くなっていて、ソースいらず。
これは昔に喫茶店でバイトしている時に、料理担当のチーフから教えてもらいました。
2006年03月01日 (水) | 編集 |
※8年前の闘病生活を思い出しながら書いています。
気管切開から1週間、徐々に元気を取り戻し
心情的には落ち着きだした時のことでした。
NCUに入ると、担当医から呼ばれました。
腫瘍の性質が分かったとのことです。
せっちんの腫瘍は髄芽種という悪性の腫瘍だったという事と、
5年生存率は50%くらいだと告げられました。
私は今から思うと、驚くほど無知で脳腫瘍の悪性というのに
あまりぴんときませんでした。
でも、5年生存率を聞いてからたちまち底の無い深い穴に
突き落とされたような気がしました。
私はせっちんの顔を見る事が出来ずに、家に帰りました。
涙も出る事を忘れ、たた力が出ず横になりました。
せっちんはもしかしたら死んでしまうのかも知れない・・・
信じられない。まだ6歳のこの子がこんな事になるなんて。
大手術に耐え、気管切開をしなくはいけない身体になり
こんなに苦しんでいるのに、神様はまだこの子を苦しめるのか。
頭の中はずっとその事ばかりがぐるぐると回っていました。
しばらく横になると、学童保育に通っている長男に帰ってくるように
電話をして、長男と一緒にせっちんの待つ病院に向かいました。
NCUは普段は面会時間は午後の3時くらいの30分間と
決まっていて、子供の入室は禁じられています。
せっちんは小さいし意識もしっかりあるという事で母親である私は
特別に好きな時間に入室を許可してもらっていたのですが
さすがに、長男は入れてもらえませんでした。
なぜか、最高に仲良しのお兄ちゃんの顔を早くみせたくなり
お兄ちゃんの入室許可を確認する事もせずに
お兄ちゃんをNCUに連れて行きました。
看護士さんや先生も黙ってお兄ちゃんを入室させてくれました。
まだ3年生の小さなお兄ちゃんがかっぽう着のようなものを着て
キャップをかぶりマスクをした姿を見て
せっちんは大笑いしました。仲良し兄弟の久々の再会です。
周りにいた、看護士さんや先生もニコニコしておられ
後で先生は「彼があんなに嬉しそうな顔をするのは
初めて見たからこれからも、お兄ちゃんを好きな時に
入室させて下さい」と言ってくれました。
せっちんが悪性だと分かり、いよいよこれからが本当に闘いが始まるのだなと
確信した瞬間の日でした。絶望と希望が交互に現れるのに苦しみながら・
気管切開から1週間、徐々に元気を取り戻し
心情的には落ち着きだした時のことでした。
NCUに入ると、担当医から呼ばれました。
腫瘍の性質が分かったとのことです。
せっちんの腫瘍は髄芽種という悪性の腫瘍だったという事と、
5年生存率は50%くらいだと告げられました。
私は今から思うと、驚くほど無知で脳腫瘍の悪性というのに
あまりぴんときませんでした。
でも、5年生存率を聞いてからたちまち底の無い深い穴に
突き落とされたような気がしました。
私はせっちんの顔を見る事が出来ずに、家に帰りました。
涙も出る事を忘れ、たた力が出ず横になりました。
せっちんはもしかしたら死んでしまうのかも知れない・・・
信じられない。まだ6歳のこの子がこんな事になるなんて。
大手術に耐え、気管切開をしなくはいけない身体になり
こんなに苦しんでいるのに、神様はまだこの子を苦しめるのか。
頭の中はずっとその事ばかりがぐるぐると回っていました。
しばらく横になると、学童保育に通っている長男に帰ってくるように
電話をして、長男と一緒にせっちんの待つ病院に向かいました。
NCUは普段は面会時間は午後の3時くらいの30分間と
決まっていて、子供の入室は禁じられています。
せっちんは小さいし意識もしっかりあるという事で母親である私は
特別に好きな時間に入室を許可してもらっていたのですが
さすがに、長男は入れてもらえませんでした。
なぜか、最高に仲良しのお兄ちゃんの顔を早くみせたくなり
お兄ちゃんの入室許可を確認する事もせずに
お兄ちゃんをNCUに連れて行きました。
看護士さんや先生も黙ってお兄ちゃんを入室させてくれました。
まだ3年生の小さなお兄ちゃんがかっぽう着のようなものを着て
キャップをかぶりマスクをした姿を見て
せっちんは大笑いしました。仲良し兄弟の久々の再会です。
周りにいた、看護士さんや先生もニコニコしておられ
後で先生は「彼があんなに嬉しそうな顔をするのは
初めて見たからこれからも、お兄ちゃんを好きな時に
入室させて下さい」と言ってくれました。
せっちんが悪性だと分かり、いよいよこれからが本当に闘いが始まるのだなと
確信した瞬間の日でした。絶望と希望が交互に現れるのに苦しみながら・
| ホーム |




